1回目(2009年)の出場はひとりでなんとなくロードバイクに乗っていたころで、他の人がどれだけ乗れるのかも知らない完全なる「池の中の蛙」だった。
レース中は本気を出してはいたけれど、タイムアウトの足切りでレース終了したのが2009年。喉と気管支、腰が痛く身体からは湯気が立っていても、完走すらできないその結果に唖然とした。リザルトをみても半数程度が完走を許されず、完走者を称えるためのイベントではないことを知る。
お揃いのチームジャージを着て走る仲間もでき、自転車イベントにも参加するようになってそれなりに自分の実力がどこにあるかわかりかけてきた去年(2010年)が2回目の出場。とにかく完走を目標に1年間のトレーニングとダイエットをしてなんとか完走。努力と我慢が結果に結びつき、ゴールラインをまたいだとき、感動の涙が出た。
そして、その感動を再び得るためにシクロクロスへの参戦を経て、2011年3回目のジャパンカップ。去年以上にトレーニングらしいトレーニングを重ねてきた今年の目標は10位以内。
スタートはそれなりによい位置。先頭を走る選手が積極的ではなく、のんびりペースに感じた。自分にも余裕があるからそう感じたのかもしれない。
後方で落車の音。自分の位置も他者の肩があたるような安全な状況ではないから、斜行しないように、されないように周囲をみる。JCRCなど素人参加のロードレースは罵声が飛び、緊張感がハンパじゃないと聞くけど、ほんとにそんな雰囲気。落車すれば身体は痛いし、その瞬間、勝ちも去っていく。ピリピリするのも仕方ないのかな。
ピリピリしたまま1キロ続く急勾配「古賀志林道」に突入。ここで弱者はふるいにかけられる。
しばらく先頭の見える位置でのぼる。やはり去年より楽だ。勾配がさらにきつくなる山頂手前で、やや遅れるが、先頭からまだまだ遠くではない。
そして古賀志林道の下りへ。「このコースは滑らない加工をしている」なんてレース前にアナウンスがあったことが頭に残っていた。インを攻めて効率よく走ろうと思った。できれば先頭集団に追いつこうと思って攻めた。脚は残っている。
そして3回目か4回目のカーブでツルっと単独落車。無理なブレーキングをしたわけでもなんでもない。少しインコースを走っただけ。これで転けてしまうのか…なんてことだろう。
古賀志林道をのぼる。このあと悪夢が。 |
打った身体が痛い。出血もある。
初めての落車に頭が白くなる。もうリタイヤなのか…と思ったところで回収車がいるわけでもない。だったらどっちにしても走るしかない。そう思うまでどれだけ時間が経過したのか。次々と選手が落車した自分を避け追い越していく。
吹っ飛んで後方に残されたサングラスを回収、大きく曲がったブラケットを叩いて戻す。チェーン落ちしていないか確認し再度乗車。少し曲がったブラケットに違和感を感じつつ、またの落車に怯えながら下る。
直線ではペダルを強く、単独で何人か抜いていく。落車した場面を思い出し、首をかしげながらペダルを踏む。はっきりとモチベーションは落ちていた。途中、同じペースをつくれそうな人と走る場面もあったけど、ほとんど一人旅。徐々に疲労が貯まる。鶴C.C.前の坂でほぼ売り切れの脚。
2回目の古賀志林道を情けない気持ちでのぼる。下りはグリップのいい路面を選び無難に下る。そしてまたほぼ単独走でゴール。結果は87人中36位。
シクロクロスが楽しくて、ジャパンカップは今年で最後にしようと思っていた。走り終わった直後もそう思っていた。なのに今、くやしさでいっぱいだ。
転けて単独走で消耗して終わるなんて、くやしさしか残らない。集団で走ってやっと初めてロードレースだよ。集団で勝負したいよ。スッキリするには同じレースに参加するしかない。
規模感はぜんぜん違うけど、プロだってそんな気持ちなんだろう。落車の大怪我で引退宣言をしたって、治療が進めば、すぐに引退を撤回し復帰する。
いや、ほんとに自分みたいなヘタレとプロを一緒になんかできないけどね、展開も含め、自分の上限まで出しきったと思えない限りやめられないんじゃないのかね。もしくは食欲がまさって強制終了か。
いや、ほんとに自分みたいなヘタレとプロを一緒になんかできないけどね、展開も含め、自分の上限まで出しきったと思えない限りやめられないんじゃないのかね。もしくは食欲がまさって強制終了か。
あぁくやしい。